2001年に世界一周をしたときの旅行記です。
(前回はイースター島編でした。)
今回は地中海の島国、マルタについてです。
2001年の世界一周旅行では、4月初旬から5月の下旬までの約1ヶ月間半ヨーロッパに滞在しました。
せっかくだから日本から直行便のない端(?)のほうにも行ってみたい。そう思っていたときに地図で目に入ったのが、イタリアのシチリアの下にある、とても小さなマルタという島国です。
多分、その時初めて、マルタという国があることを知ったのだと思います。調べてみると、東京23区の約半分程の面積に約40万人が暮らす小国で、公用語が英語(とマルタ語)ということ。1946年にイギリスから独立し、マルタ共和国になったのは1974年という若い国だと知りました。
地中海に浮かぶ小国と知って、とにかく行ってみたくなりました。
さて、ヨーロッパ滞在中、友達と合流して1週間程度旅行しようという話になっていました。その友達はSさんというのですが、とにかく簡単にいうと(違うって言われそうですが)、語学マニアなのです。語学を勉強するのが趣味なんだと思います。
2001年に一緒に旅行した時点で、英語はもちろん、イタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語はかなり出来ていました。最近は、フィンランド語にはまり、その後、アジアの言葉にはまりつつあるようで、ベトナム語やタイ語も勉強しているようです。
最初はSさんのお友達のスイス人のご家族のおうちに滞在させてもらい、特に意味もなくシチリアまで行こうということになりました。本当はギリシャに行きたかったけど、日程的に、ギリシャの島に行くには時間が厳しいだろうということで、なんとなくイタリア南部ということになったんだと思います。
(Sさんは、毎年のようにヨーロッパへ行っていたし、船で世界一周もしたことがあるので、行ったことがないところがあまりなかった、それでシチリアが良いねってことになったんです。)
チューリッヒから列車をひたすら乗り継ぎ、シチリアへ。シチリアまでは簡単に辿り着いたのですが、このとき思い出したのが、シチリアの隣のマルタです。
急にどうしても行きたくなり、シチリアの地元の旅行会社に行ってみました。ですが、この旅行会社、英語が話せる方がいないのです。そこで友達のSさんが、イタリア語の能力を発揮してくれました。(といっても英語ほどは話せないので大変そうでしたが)
そこで聞いたところ、シチリアからマルタまで高速船が出ているが、私たちの日程に合わない。カターニアから出ている飛行機なら日程的にOKだし、飛行機代もそれほど高くない、ということでした。
そこで、思い切ってマルタまで行ってみることにしました。飛行機のチケットの予約などは全てSさんが旅行会社の人とイタリア語で頑張ってくれました。2時間くらいかかったと思いますが、チケットを渡してくれたときに、旅行会社のオフィスにいた人達全員が拍手してくれた記憶があります。本当に小さな旅行会社で、イタリア語が話せない人が来たなんて初めてだったんでしょう。
というわけで、どうやって行ったのか今となっては全く記憶にないのですが、カターニア空港まで行き、無事に飛行機に搭乗しました。
無事にと書きましたが、飛行機の出発が予定より3時間以上遅れたのです。しかも、このカターニア空港、カフェも含めて空港中に一つも椅子やベンチがないのです。立っているか、床に座るしかありません。床に座るといってもかなり汚い感じで、とても座れる雰囲気じゃありません。そもそも空港というより、長距離バスの待合所的な感じでなんです。
3時間以上、頑張って立ち続け、待ちに待って搭乗した飛行機の座席に座れたときの、「やっと座れた〜」という気持ちは忘れられません。
それから、到着したマルタ国際空港の近代的で綺麗なこと。とてもホッとした気分になりました。
マルタの街並
マルタの首都ヴァレッタは、1980年に世界遺産に登録されています。中世、オスマン帝国からの攻撃を死守し、この後ヴァレッタは要塞都市として整備されたそうです。イスラム文化や、その他様々な文化の影響を受けた多様な建築様式が入り混ざり、蜂蜜色の石灰石で作られた建物が多い街並です。
城砦都市ということで、プエルトリコにとても似てるなと思いました。
マルタのバス
マルタのバスは、アメリカの古いスクールバスを使用しているそうで、その風景はとても可愛らしいです。マルタ・バスという本も出ていて、購入してしまいました。*現在は新型になりつつあるそうで、こんな景色ではないのかもしれません。
マルタの青の洞門(ブルー・グロット)
マルタの一番有名な観光スポットといば、ブルー・グロットというマルタ版青の洞窟でしょう。
写真のような船に乗って見学します。一緒に行ったSさんが、カプリ島の青の洞窟にも行ったことがあるということだったのですが、彼女はマルタの青の洞門のほうが綺麗だったと言っていました。多分、天候も良くて、人もそれほど多くなく、総合的に雰囲気が良かったのでしょう。
水の色はミルキーな青だったり、真っ青だったり、エメラルドグリーンだったり、場所に寄って全然色が違うのです。
青の洞門の近くでは、岩場で釣りをしている人がたくさんいました。落ちたら怖いな〜という崖の上に座っているのですが、中には飛び込んでいる人もいました。
マルタのホテル
マルタはヨーロッパの避寒地でもあり(緯度はアフリカのモロッコやチュニジアと同じくらいなので)、大抵の大手有名チェーンの大型ホテルもあり、ありとあらゆるタイプのホテルがあります。プールのあるリゾートホテルが多いです。
私が泊まったホテルがどこだったのか全く記憶にないのですが、現代建築の北欧風インテリアの綺麗なホテルだった記憶があります。
ホテルの屋上からは、綺麗な海が見えて、隣の大型リゾートホテルがちょっとうらやましい姿で存在感を表していて、今度来たときは豪華リゾートホテルに泊まりたいなと思ったものです。
この時期は、ドイツからリゾートに来ている人が多い印象でした。
そういえば、アジア人にはほとんど会いませんでした。
ある日、ショッピングセンターからホテルに戻ろうと歩いていると、地元の中高生らしき若者集団に「チーナ、チーナ」と言われて、小石を投げられました。
きっと私たちのことを中国人だと思っていたのでしょう。それくらい(アジア人といえばみんな中国人だと思うくらい)、アジア人に出会ったことのない、狭い認識なんだなと思いました。
マルタに来る数日前にイタリアのシチリア、タオルミーナの遺跡に行ったときに、地元の小学生の団体に会ったときには、子供達が「トリヤマ・アキラ」(ドラゴンボールがイタリアで大人気だったから)とか、「ナカタ」とか、知ってる限りの日本語を伝えてくれて、こんなイタリアの端の都市でも日本のことが知られていて嬉しいなと思ったのと全く対照的な出来事でした。
きっと、当時のマルタでは日本の物はあまり知られていなったんだと思います。
日本人の観光客にもほとんど出会わなかったのですが、有名な撮影スポットで、一組だけとても上品な老夫婦に出会いました。少しお話をしたのですが、プライベートガイド兼通訳を雇い、地中海の島を巡ってるんですよ、と仰っていました。
逆に私たちに、「どうやってマルタまで来たの?」ととても不思議そうに聞いてきたのです。それくらい当時マルタに行く日本人は少なかったのだと思います。最近は、旅行会社のパンフレットでもマルタという地名が結構出ているので、かなり増えたのでしょう。
それから、この場所でもう1人、1人旅をしているらしいフランス人女性に会いました。身振り手振りで彼女のカメラで写真を撮って欲しいと伝えてきたので、大学の第2外国後で習ったフランス語の記憶から、「Vous êtes Française?(あなたはフランス人ですか?」と聞いてみました。
そしたら、彼女は、「Oui, Oui….(そう、そう)」と言って、すごい勢いでフランス語で捲し立てるのです。(きっと英語しか通じないマルタですごいストレスだったのでしょう)
ま、まずい、私が知ってるフランス語はこれ以外だと、「私は学生です。」程度なんです。「もう私は学生じゃないし、えーと、うーんと」と困っていると、Sさんがすごい勢いでフランス語で会話をしているじゃないですか。
実はこのとき、Sさんがフランス語を話せるとは聞いてなかったのです。英語以外はドイツ語とイタリア語だけと聞いてたので、ビックリしました。
聞いてみると、フランス語もスペイン語も半年くらい勉強しただけだから、話せるってほどではない、というのです。いやいや、私は大学で1年半勉強したけど、この程度だし。
語学が好きというのは、会話が好きということだし、才能なんだなと思いました。
マルタの海
マルタの海はとにかく綺麗でした。色はやはり地中海の海の色で、透き通る青ですね。
訪れたのが、4月の終わりで、まだ泳ぐには肌寒い季節だったのですが、今度は夏に訪れてみたいです。
マルタは英語が公用語でもあることから、最近英語の語学留学先としても人気があるようです。
ヨーロッパでイギリス程物価が高くなく、天気は良くて、海は綺麗で、英語が学べる場所、そういう意味でもマルタは良いなと思いました。